ふれあいブログクラブ

岩国市美和町阿賀、高齢化の進む故郷を活性化しようと奮闘する高齢者のブログです。
<< July 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 美和町阿賀・明神様の「御烏喰式」 | main | コメント投稿のおしらせ >>

維新と御手洗(みたらい)

0

    先日呉市御手洗(大埼下島)に行ってきました。

    下の写真は御手洗に残る遊郭、若胡子(わかえびす)とそのお座敷です。御手洗は日本屈指の花街で田畑義男さんの歌「オチョロ舟」など、御手洗の女性に思いを寄せる船乗り歌った歌も残ります。

    「遊郭・若胡子(わかえびす)中には遊女が芸を披露する舞台、お座敷(写真下)があります。

    また、

    御手洗は明治維新においては御手洗条約の締結など歴史の舞台です。

     

    すこし詳しく書きますと、

    御手洗は薩摩藩がオランダと密輸を行っていた場所で、写真左にある庭には薩摩石が使われています。とうぜん薩摩藩とつながりの深い坂本龍馬も加わっていたと思います。

    幕末において、その密輸が幕府に知られることとなり、薩摩はやむなく長州と手打ちを行い、場所(御手洗)の提供していた広島藩も加わり薩摩、長州、土佐、広島、佐賀による御手洗条約が締結されたと思えます。

     

    そうした歴史の御手洗ですが、遊郭を始めたのは長州上関の人と伝わります。

    上関でも確認しましたが、間違いなく上関からだといわれました。そうしたことで、京都で薩摩と戦いに敗れた長州が、七卿落ちの宿泊地として利用しています。

    花街御手洗の遊郭、売られて来る女性には小学校五年生くらいの幼い娘もいたとか、そうした女性は遊郭から学校に通っていたそうです。(文字が書ける女性が人気があるため)

    そして昭和31年5月24日売春禁止法が制定され、御手洗は花街としての幕を閉じます。

     

    長州が関門海峡を通過する外国船を攻撃したのは、御手洗における薩摩の密貿易を封じるためだとも思えますが、詳しく調査はしていません。

    また、御手洗の丘の上には若くして亡くなった女性たち(遊女)のお墓があります。今では一か所に集められ「おいらん公園」として弔われていますが、この丘に来ると女性たちの悲しい思いが伝わってくるようです。

    その花街の女性たちは、悲運な定めの中で、お客に恋をして自分を慰めていたのか、好きな人に当てた恋文(遺書)を読んだことがあります。

    少し切なくなって、数年前の灯篭流しに「御手洗の女性たちに」と書いて流しました。

    ドラゴンはすこし涙腺も弱くなっているお年頃です。御手洗は何度も訪問していますが、また近いうちに行く予定です。

     

    ドラゴンと御手洗の関係は、数年前に御手洗の古い写真を保存しようと、私の入会している「広島写真美術協会(HPA)」で、御手洗に残る古い写真を集めデジタルアーカイブ(デジタル保存)に協力したためです。

     

    カラオケ好きのドラゴン、

    〽愛しあの娘は 愛しあの娘は 帰りの港〜 ついつい口に出てしまいます。

     

    おちょろ船

    〽愛の友綱 誰故ほどく 瀬戸の入り江の おちょろ船〜

    など御手洗を感じされる歌がたくさんです。

    ドラゴン

     

    一日一回必ずここを⇒[ポチッとクリック]

    てくてく日記 | permalink | - | - | - | -